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ふるさとのアレンジ2 [アレンジ曲]

G(ト長調)をD(ニ長調)に移調してイントロ+メロディを仮完成しました。

音源での作成ですので実際に吹いておりません。

いつも思うのですが名曲はすぐにアレンジもひらめきますね。
手前味噌ながら気に入っております。

せっかくの記事ですので少し、

文部省唱歌と前回書きましたが、実際は尋常小学唱歌です。
こんな言葉を知っている人はもう少ないでしょう。
文部省が東京音楽学校に委託して編纂されたのですね。
1911年から1914年にかけて作成されました。
ふるさとは小学6年用の唱歌になります。
作詞作曲名は記載されなく著作権も文部省にあります。
長く作詞作曲名は不明のままだったのですが発表されたのはなんと平成4年(1992年)だったのです。
当然両者は自分の名前が世に出たことは知らないまま・・・・
というか、文部省に献上した作詞作曲なので本人すら忘れるというくらいです。

作者の名前がちゃんと載るようになって良かったのは当然です。
100年以上も前のこと、仕方なかったのでしょうね。

fff2.jpg

 

写真は長野県にある高野辰之(作詞)の歌碑です。


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コメント 7

崎山言世

「発表されたのはなんと平成4年(1992年)」ということですが、どんな根拠があるのでしょうか。音楽著作権協会なら1973年ごろに判断していますが発表という手続きまではなされていません。「文部省に献上」では意味不明です。これは文部省が編纂したのです。共同制作なので特定の作詞者作曲者はいない、というのが唱歌史研究の最新の成果です。よく言われる「高野作詞岡野作曲」は誤りになります。「作者の名前がちゃんと載るようになって良かったのは当然」は現代人の感覚であって、当時の唱歌教科書は共同制作で作られたのです。たとえばその推敲の過程は、http://www.lib.kobe-u.ac.jp/repository/thesis/d2/D2002844.pdf
の56ページ以降などを参照になさってください。
by 崎山言世 (2016-07-17 22:58) 

KOJI

>崎山さま、
ていねいなご指摘ありがとうございます。
よく調べもしないで書いたこと、反省しております。
人(鳥取)から聞いたこと、wikipedia などからつまみ食いをいたしました。
それによると昭和40年10月9日に産経新聞が発表し、平成4年の教科書から載るようになった、とは書いておりましたが見たわけではありません。
教科書に載るようになったのだからやはり作者名は出すのが正しかったんだ、と思ったわけです。
ご指摘のサイト、ほかいろいろ調べなおしてみたいと思います。
このたびはまことにありがとうございました。
次回書くときはこのこと、明記してお詫びも書くようにいたします。
by KOJI (2016-07-18 07:12) 

HOLDON

詫びる必要は無いですよ。
「故郷」が高野、岡野の作品というのが教科書にも載っているなら全く詫びる必要は無いです。
私も高野、岡野作であるという確信は無いですが仮に間違いであったとしたら教科書製作者が責任を負うべきです。
KOJIさん一人が主張しているわけではないです。
高野、岡野でなければ誰なのか。
それの方が問題です。
語り伝えられた民謡や民話のように誰が作ったかわからないままでいいのでしょうか。
共同制作されたのは唱歌教科書です。「故郷」という作品が何人もかかって共同制作されたというのでしょうか。
後日「故郷」は高野、岡野ではない、と証明されればそれに従う・・・
我々はそれでよいでしょう。

by HOLDON (2016-07-19 06:02) 

KOJI

>HOLDONさん、
ありがとうございます。
軽い気持ちで書くときもよく調べて書くようにするのは当たり前ですよね。
みなさまのご意見、ご助言、大切にしていきます。
by KOJI (2016-07-19 18:10) 

崎山言世

そうです、KOJIさんが詫びる必要などさらさらありません。
HOLDONさんへ
語り伝えられた民謡や民話のように誰が作ったかわからないままでいいのでしょうか。→いいのです。共同制作されたから分からないのです。
共同制作されたのは唱歌教科書です。「故郷」という作品が何人もかかって共同制作されたというのでしょうか。→その通りです。「故郷」も「朧月夜」もお国の将来を背負う子供のために共同制作されたのです。
後日「故郷」は高野、岡野ではないと証明されればそれに従う→吉丸先生は「現代人は根拠もなしにコンビを作っておいて、コンビがウソだというなら根拠を示せというのか」とおっしゃっています。証明が必要なのは、むしろ「高野作詞岡野作曲」の文献的根拠の正当性です。勘違いしてはいけません。
我々はそれでよいでしょう。→一歩すすんでこの重大な誤謬に向き合うべきときが来ています。しかし、それでよい、つまり証明されるまで待てばよい、と思ってしまえはそれまでです。議論に加わらないほうがすべてにおいて無難です。実は、調べなおしてみる、という姿勢がもっとも肝心なのです。それを「気づき」といいます。
http://blogs.yahoo.co.jp/kotoyo_sakiyama/63436853.html
吉丸先生の声に耳をかたむけてみてください。


by 崎山言世 (2016-07-19 21:27) 

HOLDON

>崎山さん、
一般的な小学唱歌のことしか知らないHOLDONです。
今回のことを崎山さんと論じる資格などないでしょうから文化という観点から書かせていただきます。
すでに教科書が断定しているという事実に目を向けました。
これが重要だと思います。
共同制作だから名前は不明にする当時のままではいけないと悟ったから教科書は発表するようになったのだと思います。
正しい方向だと思います。
それが正しい文化だからです。

ちなみに私も曲を作りますが、共同で作ること、困難極まります。
一人一人4小節ずつ作る・・・不可能です。
誰かが製作してそれを検討する、加筆する、というのは可能です。
岡野かどうかは知りませんが必ず元は誰かが製作しています。
そうです原作者がいます。
この場合原作者が作曲者になります。
古い作曲の世界でもよくあります。
加筆された曲、原作者は別にいた曲・・・
そういうことを調べてくれる方々には感謝します。
その点崎山さんがおっしゃる通りです。
そして議論に加わる資格の無い者が論じても迷惑だけです。
それよりも私も横入りした以上、時間を作ってでも吉丸先生の声、拝聴させていただくのが筋ですね。

by HOLDON (2016-07-20 06:05) 

KOJI

>みなさんありがとうございます。
とても勉強になりました。
このあと編曲完成に向けてがんばります。
by KOJI (2016-07-20 10:38) 

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